慣れるって怖いね
自転車に乗れなかった
私はずっと自転車に乗れなかった。長崎の土地柄で坂が多く、道は狭く、危険なので自転車を禁じられていた。バスや電車がよく通ってるので不便はしなかったが漠然と自転車への憧れはあった。
20歳のあるとき、友人からママチャリをもらったことがきっかけで練習を始めた。これがまた全然乗れない。一歩目ペダルを踏んで、次の足を乗せようとしたらバランスを崩し倒れかかってしまう。そんなことを何度も繰り返していた。夏の終わりかけ汗水垂らしながらいい年した女が必死に練習する姿は、さぞかし滑稽だったことだろう。
あまりにも乗れないので、父親に指導を申し込んだ。始めは面倒そうにしていたが途中から本気モードに入ったようで、夕方何度か練習に付き合ってくれて、最終的に小さい子供が行くような交通公園で練習することに。幼稚園のときよく楽しんでいた長崎市油木町の長崎交通公園だ。
平日の昼間なので子供も誰もおらず、特別に使用許可をいただいた。
どのタイミングかすっかり忘れたのだが、自由に自転車を操れた瞬間はとても嬉しかった。生まれて20年、初めて自転車に乗れたのだ。ふつうの人にとっては全然珍しくもなんともないことで、もはやその年までに乗れないなんてダサいと思うだろうが、私にとってはこの上ない感動的で革命のような出来事だった。
東京暮らしにフル活
現在東京で暮らしているが、スイスイ自転車を乗りこなし、通勤に、チャリ旅に、近所へ買い物に大変重宝!(写真は二子玉にて)
住んでいるアパートに駐輪場がないため、部屋の中で保管しようと折り畳みを選んだのだが大家さんから「そこらへんに置いてていいよ」と軽く言われ、こんなことならクロスバイクでも買えばよかったと後悔している。
まあ、自転車通販サイトCymaで買ったコイツはコスパもデザイン性も良かったので満足。しばらくはお世話になろう。
忘れるからこそ記録しなきゃ
もう自転車に乗れなかったときの感覚を思い出せない。今ではたやすく乗ることができて、どうしてこんなことが出来なかったのだろうと思ってしまう。
東京の生活にはずいぶん慣れてきて、毎日おくんち状態の人ゴミ、信じられないほど窮屈な満員電車、多くが自殺であろう人身事故の放送も「またか,,,。」と当たり前のように受け流す自分に気付いている。怖いことだ。同じ人間でも感覚は変わっていく。それは仕方のないことかもしれない。だからこそ、せめて記録していこうと決めた。
いつかの私がこれを見たときになにかを発見できればいい。ぼちぼちとブログを書いていこう